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2024年6月1日土曜日

巷のひどい翻訳について考える


最近引き受けた翻訳依頼の2件は、印象的でした。


1件は、ある翻訳会社から納品されたものがあまりにも粗悪だったため、手直ししてほしいというものです。ちょっと見ただけでも原文の「増加」を「減少」と真逆に訳していたり、専門知識のなさを露出する誤訳がありました。


結局、それは最初から改めて訳した方が早くて安い、という結論になりました。


もう1件は、依頼主が英語圏の人で、自社の和訳に対するクレームが多いため、チェックしてほしい、とのことでした。確かに文法から業界事情まで、理解が不足しているらしい人の翻訳です。私は、何がどう間違っているのかを英語で説明し、和訳をほぼ全面的に修正しました。


今までも、びっくりするような、ひどい誤訳はさんざん見てきました。(たまに素晴らしい翻訳にも出会いますが。)


翻訳業界は、このままで良いのだろうか、私にできることはないだろうか、などと悩んだりもします。心情的には、苦しんでいる人が道端にバタバタ倒れているのに、知らんぷりして素通りしていいのか、というような。。。何か世間に発信できないだろうか?これまで見てきた誤訳を面白おかしく列挙して、ウェブで暴露してやろうか、などとも考えました。


しかし、一介のフリーランス翻訳者が業界全体を変革できるとは思えません。自分の生活を賄うだけでも大変なのに。


そこで昔のことを思い出しました。私が社内翻訳をしていた頃、ひどい翻訳をしていた人たちが二人いました。この人たちは英語が得意だったものの、翻訳対象の商品やサービスについて知ろうしなかったため、社内での評価が低かったのです。二人のその後を見ると、今は翻訳でない仕事をしています。


要するに、市場は粗悪なものを淘汰するのです。


他の業界を見ても、例えば、戦後間もない日本では安いアルコールを後から混ぜた粗悪なウイスキーが販売されていたそうです。そのようなウイスキーは、時代と共に消滅し、一方でずっと真面目にやってきたサントリーが今は「山崎」というブランドで世界一と称賛されています。


ですので、フリーランスの翻訳者は、ひどい翻訳をする他の翻訳者や翻訳会社を非難したり攻撃することに時間とエネルギーを使わず、その代わりに自分の翻訳の質を高める努力(語学と専門知識の勉強)をした方が、長い目で見れば効率が良いのではないかと、今は思っています。