片方は自然に伝わる、しっくりくる翻訳でした。実は、それを訳した人は、翻訳に全く関係ない職種の会社員で、ある日たまたま本屋で原書を手に取り、あまりにも面白かったので訳したそうです。
もう片方は残念な和訳で、直訳っぽく、いかにも「仕事だから、しょうがなくやった」感が行間に滲んでいました。
この差がどこから来るのか考えてみると、翻訳者と原文との間に「共感」のようなものがあるかどうかではないかと私は思うのです。翻訳者と原文との間に何か有機的なつながりがあるときにだけ、生きた表現が生まれるようです。文章は人の心を変えることができるので、これは大切なことだと思います。
日本翻訳者協会のミーティングに行くと、サッカー好きの人はサッカーに関する翻訳をしているし、映画好きの人は字幕翻訳をしており、それが自然な形かと思います。